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COLLEGE OF INDUSTRIAL TECHNOLOGY 50th ANNIVERSARY創立50周年に想う本学は日本鉄鋼連盟により昭和37年(1962年)に設立されました。私はその10年後の昭和47年(1972年)4月1日に機械工学科の助手に任用され、以来4....

COLLEGE OF INDUSTRIAL TECHNOLOGY 50th ANNIVERSARY創立50周年に想う本学は日本鉄鋼連盟により昭和37年(1962年)に設立されました。私はその10年後の昭和47年(1972年)4月1日に機械工学科の助手に任用され、以来40年になります。私は工学部大学院修士課程を修了直後から本学で勤務を続けてきました。昭和21年生まれの私にとっては本学での経験が私の人生の全てです。また本学が今日を迎えられたのは退職、現職の事務職員の方々及び教育職員の方々の大変なご貢献の結果だと思います。皆様ほんとうにご苦労さまでした。ほんとうにありがとうございました。心よりお礼を申し上げます。助手として着任しました当時の機械工学科の先生は宇佐見教授、渡辺教授、大和久助教授、生田講師、森本講師、繁田助手、大室助手の先生方でした。また当時は工場棟には技能員の方々がおられ、その人達との想い出も多くあります。渡辺先生とは機械工学科の科名問題について話をしましたが、私は現行のままの名称が良いと言い、ご理解いただき現在まで続いています。また、五十嵐、太原、竹中、髙子、現木村各事務局長さんとも色々な想い出があります。太原さんとは武庫之荘でよく一緒にお酒を飲みました。後年亡くなられ東京で行われた葬式にも出席しました。太原事務局長さんと大阪産業大学の自動車工業科の実施状況を見に行きました。私の知人の教授に御世話になりました。また盛学長とは岡山の職業訓練校へ行き、自動車工学科の状況を見学しました。訓練校の校長が盛学長の知り合いでした。結論として太原事務局長、盛学長との話し合いの結果、本学で自動車工学科を開設するのは予算的にも設備的にもまた人事的にも無理があるとの結論に達し、開設はしないことにしました。それよりも時代に合わせて情報処理工学分野の導入を図り、機械工学科の教育面の充実を図るということで渡辺先生との結論に至り今日に至っています。その後、ロボット関係分野の充実、燃焼工学分野の充実を人事面も含めて図ってきました。学長先生としては、2代目門間先生、3代目盛先生、4代目佐藤先生、5代目及川先生そして現牛尾学長先生達にはほんとうに色々とお世話になりました。また本学の理事長だった日向方斉氏の葬式には当時の学長の盛先生と共に出席しました。式の司会者は住友金属の松村部長さんでした。松村さんからは今だに年賀状が届きます。教室主任も長く務めたり、学生部長、教務部長、専攻科運営委員長など多くの役を務めることができたのもこれらの学長先生の心からの配慮があったものと思っております。ほんとうにありがとうございました。心より御礼申し上げます。また昭和47年以降、多くの学生さん(社会人、一般生)との交流についても多くの想い出があります。卒業生の配慮により多くの鉄鋼会社の工場を見学することができました。また私的には彼らの結婚式他にも参加いたしました。また一般生との交流も多くあります。また派遣企業、一般生の進路に関係する企業などとの交流も多くあります。尼崎地域の企業との交流も多く続けて今日に至っております。以上のように本学での40年の勤務が私の人生の全てです。本学が50周年を迎えられたおかげで今日の私がいます。ほんとうにありがとうございました。色々な方々のほんとうに様々なご親切、ご配慮に心より感謝致しますと共に心より御礼申し上げます。最後に産業技術短期大学50周年ほんとうにおめでとうございます。機械工学科教授堂原教義87