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COLLEGE OF INDUSTRIAL TECHNOLOGY 50th ANNIVERSARY馬上過ぐ四十年産業技術短期大学が創立50周年を迎え心よりお祝い申し上げます。またその記念誌に寄稿できますことを光栄に思います。さて私事ながら平成24年3月末....

COLLEGE OF INDUSTRIAL TECHNOLOGY 50th ANNIVERSARY馬上過ぐ四十年産業技術短期大学が創立50周年を迎え心よりお祝い申し上げます。またその記念誌に寄稿できますことを光栄に思います。さて私事ながら平成24年3月末に勤続満40年で定年を迎えます。本学が昭和46年に開設した溶接構造工学科の助手に任用されてからすでに40年が過ぎようとしています。多少の感慨とともに馬齢を重ねた驚きを禁じ得ません。この40という年数で想起することは、司馬遼太郎が『馬上少年過ぐ』で紹介した伊達政宗の詩があります。「世平らかにして白髪多し、残?天の赦すところ、四十年前少壮の時、只把る春風桃李の巵」などがその一節です。白髪頭と四十年前は助手それに晩酌の焼酎杯は政宗公と同じかなと自嘲しています。この40年の歳月は紅顔の黒髪からぼけと痴呆の入り混じった白頭老と化しつつあります。しかしここはエピソードの一つ二つを記してその責を全うしたいもの。約20年前、大阪大学の博士後期課程に内地留学した時のことは今でも鮮明である。溶接工学研究所の松田福久教授にお教えいただいた。堺から車で阪神高速湾岸線に乗り短大へ行き夕方阪大で試験装置を動かしつつ破面SEM写真を撮りタンク現像処理や試験機をセットした。帰りは近畿道入口に近い大学正門が22時に閉まる前にすり抜け阪和道に乗り継ぎ居眠りしながら帰ったことも再三であった。毎月のように開かれた研究会などでは先生の学生に対する指導を身近に体験でき私自身の発表も含め夏頃からは教授室で向き合い原稿が添削で真っ赤になるのを見て無知蒙味を思い知らされた。短大の授業はもちろん各種委員もつとめ多忙で疲労困憊の三年間であった。このハードルは自らの決断を絶命の窮地に追い込む過酷な試練でもあった。大人に育てる大学教育の根幹はこの「自ら」の選択と決断を習練することが大切な要素だと思います。また私事で恐縮ですが助手の頃から東大寺戒壇堂には度々訪れた。昭和52年夏が最初でその後はドクター、昇任や学生部長を拝命した時などがメモに残っている。暗いお堂の中で四天王に威圧されつつ、廣目天は静かに「その任重くして器愚なり」、「大賢は愚に似たり」と喝破されたような。今はもう「老来し功名何処身在窓外」で直接お会いする機会はなくなりました。最近は団塊世代向けなのか退職後の処世について書かれた新書を多く見かけます。個人によって考えは当然異なるものですが、幾星霜重ねた感慨はすべてを恩讐の彼方へ流し去ってしまい「秘すれば花なり秘せずば花なるべからず」の一言に尽きる思いがします。節目の定年を迎え、こよなく酒を愛したという伊達男にあやかり「春風桃李の杯」で「楽しまざるをこれ如何せん」と万事機嫌よく過ごしたいものです。最後になりましたが本学のますますの発展を祈念いたします。て貴重な訓練であった。論文をまとめ始めた三年のシステムデザイン工学科教授阪口勝93