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COLLEGE OF INDUSTRIAL TECHNOLOGY 50th ANNIVERSARY阪神・淡路大震災を経験して2011年3月、東北地方に未曾有の地震、津波が起こった。この大震災とは比較はできないが、私たちが経験した17年前の阪神・淡路大震災当....

COLLEGE OF INDUSTRIAL TECHNOLOGY 50th ANNIVERSARY阪神・淡路大震災を経験して2011年3月、東北地方に未曾有の地震、津波が起こった。この大震災とは比較はできないが、私たちが経験した17年前の阪神・淡路大震災当時を振り返りたい。ただ、記憶のあやしい所もあるので、お許し願いたい。地震は何の前触れもなく、突然起こった。私は大学近くの伊丹に住んでいたが、その日は睡眠不足もあって、ぐっすり寝込んでいた。そんな状況下ではあったが、すぐに家内と飛び起き、揺れがおさまるまで、食卓の下にもぐってしばらく様子をうかがっていた。地震とは思ったが、別の事象が発生したのかとさえ思えた。余震はしばらく続き、ライフラインも停まったので、家財が散乱した中を、不安のうちに、ただただ夢中で大学に向かった。正直道中はよく覚えていない。大学には、近隣にお住まいの職員が何人かおいでになっており、互いの状況を確認し、次に教職員や学生の安否確認を手分けして行った。携帯電話等が出始めで、固定電話で、焦りながらも片っ端から連絡した気がする。神戸方面の方との連絡はほぼ不通で、確認できない方も多くいた。さて、学舎では安否確認と並行して施設の破損確認など2次災害を防ぐべく対応を行った。電気設備や薬品がある実験室にも出向き、素人判断ではあったが、すぐに建物が倒壊する危険性もなく、ひとまず肩をなでおろした。その夜、白塔会館や寮に泊まられた方もおられたが、私は実家の豊中へ向かった。実家も幾分被害があったが、大学周辺とは景色が違い、ほぼ何事もなかったような状況であった。しばらくは、余震などの影響もあり、実家から大学へ通勤することになり、多少苦労はしたが、交通手段を失った方もおられたので、さほど苦にもならなかった。さて、話を戻すとやはり気がかりなのは、連絡がつかない教職員や学生達のことであった。少しずつ情報が入り、自宅の全半壊や、一時避難されているなど、被害状況が随時入ってきた。しばらくして、在学生1名が亡くなられたとの一報が入った時は何よりショックであり心が痛んだ。日々平凡な生活がこんなに幸せなことであるのかということを当時も感じたし、昨年の震災で改めてそのことを思い起こさせてくれた。次に、現実対応として、この窮地に各々の立場でどう対応しようかと上司たちとも相談しながら一つ一つを決めていった。私は当時教務課に所属していたので、授業や期末・入学試験の対応を関係者と協議の上、非常時対応として、直前に迫った期末試験の中止またはレポート試験への切替えなどでしのいだ。入試も募集時期の延期や提出書類の配慮など即時性を求められる案件も多く、一番苦労した気がするラジオでの周知や、追再試験の特例措置などの対応を行った。無我夢中の対応であり、今に思えば果たしてベストの選択だったかは何とも言えない。次年度行事は一部を除いて平常通り運用はできたが、各自が負った心の傷は大小あるにしても、すぐに癒えるものではなかったのではなかったかと推察する。しかし、多くのものを失った震災であったが、私にとってはお叱りを受けるかもしれないが、その後において、命の重みを感じながら、人を思いやり真摯な姿勢で仕事や日常生活に取り組むことが何より大事であることを認識させてくれた出来事であり、家族や職場等の仲間との絆や連帯感を共有できたことは大きな収穫であった。まさしく激動の年であり、私にとっても忘れることができない1年であった。あれから約20年、50周年を迎えたわが産業技術短期大学の益々の発展を祈念したい。事務局安井宏充95