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COLLEGE OF INDUSTRIAL TECHNOLOGY 50th ANNIVERSARY創立の由来創立当時の景況・技術者不足対策昭和30年代の初めは世界的好況の時期であり、欧米の鉄鋼需要は堅調に推移し、日本も高度経済成長の始まりである“神....

COLLEGE OF INDUSTRIAL TECHNOLOGY 50th ANNIVERSARY創立の由来創立当時の景況・技術者不足対策昭和30年代の初めは世界的好況の時期であり、欧米の鉄鋼需要は堅調に推移し、日本も高度経済成長の始まりである“神武景気”に乗って鉄鋼生産は拡大した。その頃の鉄鋼業界では、銑鉄から圧延までの一貫工程設備の新設と設備能力の拡大を目指し、企業主導の下で第2次合理化計画が進められていた。その後に技術革新、設備投資が主導した“岩戸景気”が起こり、更に昭和35年(1960年)には池田内閣の10年先を見た「所得倍増を目標とする長期経済計画」が策定されたことで、鉄鋼需要は大幅な増加が予測された。一方、日本鉄鋼連盟においては、鉄鋼増産に支障をきたさない技術者の質と量を確保するため昭和35年6月に大学教育委員会(委員長:永野富士製鐵社長)が特設された。そこでは、既存の大学の制度と日本鉄鋼連盟の相互協力方法等の調査研究が行われ、当時各社に急増していた高校卒の技術者や従業員を対象とした中堅技術者の早期養成を行う鉄鋼専門学校の新設について審議された。その結果、理工系高等教育に関する政府と大学への要望、更には鉄鋼技術者不足対策として、既存大学への援助及び鉄鋼専門学校の新設が審議決定された。その後の日本鉄鋼連盟総会で、会員会社からの醵金により鉄鋼専門学校を関東と関西に1校ずつ設立することと、その具体的計画を立案するために、大学教育委員会の下部組織に学校開設準備委員会の設置が審議決定され、翌年の日本鉄鋼連盟総会で新設の鉄鋼専門学校を二年制短期大学とし、鉄鋼技術教育振興会(鉄鋼短期大学設立母体)の設置が議決された。短期大学設立の根本理念その背景には、次の点があった。「企業は人なり」といわれるように、企業経営にはヒューマンリレーションが最も大切であり、従業員の資質を高めるためには、企業内訓練と共々高度な学校教育の場を与えることが新しい方向であるとされた。鉄鋼生産は、イギリスを凌駕し西ドイツを追い越して世界3位に迫ろうとする勢いにあった。これは業界の努力もさることながら、国や社会の協力・支援の賜でもあることから、鉄鋼業としては、良質な鉄を国民に安く供給することや遅れている理工系教育に対して支援することで社会への奉仕義務を果たすことになると考えられた。そこで、鉄鋼業自ら短期大学を設立して、業界の中堅技術者を養成すると共に、一般社会の優秀な青年の教育にも貢献していくことが鉄鋼業の繁栄にも繋がるものと確信された。この信念が、鉄鋼業が鉄鋼短期大学を設立する根本理念となった。学科の選定とその規模鉄鋼短期大学の学科の選定に際して、製鉄所に従事している技術者の出身学科別構成を調べた結果、機械が3、電気が2、冶金が1の割合であることが分かり、1クラス40人とすれば、機械が3クラス、電気が2クラス、冶金が1クラスの合計240人の定員を持つ規模が妥当であろう、とされた。その当初には、この規模の学校を関東(関東鉄鋼短期大学:千葉市)と関西(関西鉄鋼短期大学:尼崎市)の2ヵ所に同時期に設置する計画であったが、事業を進めていくうちに、建設準備期間ぎりぎりの昭和36年4月には学校開設の必要な条件として、関西における事情が若干有利に展開していたため、関西を先に進めることに決定し、鋭意その建設と諸制度整備に専念し、関東は若干延期することになった。その後、既に用地の確保の手続きを行っていた関東の短期大学開設計画の樹立を待っていたが、その用地の大部分が農地であったため、いつまでも保有することが困難となったこと、国公立の理工系大学の学生増員計画が順調に進められ、学卒技術者の採用が比較的容易になったこと、鉄鋼業の成長が多少鈍化し始めたことなどもあって、関東校の設立を中止し、関西1校で進めることになった。そこで、昭和39年に設置校名が「鉄鋼短期大学」に変更された。学校教育法に基づく学校設立準備の途上においては、鉄鋼業界が設立するのであるから、特殊性を持った民間の技術者養成所的なものが良いのではないかという意見も出されたが、若い学生の教育には形式も必要であり、優秀な教授を集めるためにも、社会奉仕という意味からみても、一般9