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COLLEGE OF INDUSTRIAL TECHNOLOGY 50th ANNIVERSARY青雲寮昭和37年度に全寮制の2人部屋でスタートした青雲寮は、昭和59年度から高校から直接入学する学生(一般学生)の大幅な増加に伴って全寮生制度が廃止さ....

COLLEGE OF INDUSTRIAL TECHNOLOGY 50th ANNIVERSARY青雲寮昭和37年度に全寮制の2人部屋でスタートした青雲寮は、昭和59年度から高校から直接入学する学生(一般学生)の大幅な増加に伴って全寮生制度が廃止され、自宅等からの通学が可能となった。これに伴って新規に寮自治会が発足し、その役員構成は、寮長、副寮長、総務部長、管理部長、厚生部長、会計部長、会計監査(2名)となっている。また、寮自治会の活動として、新入寮生オリエンテーション(4月)、新入生歓迎会(4月)、防火訓練(5月)、寮食堂問題懇談会(6月)を実施している。また、寮生数は企業から派遣された学生の増減や一般学生の増加に伴って大きく変化した。下図は平成3年度から平成23年度までの21年間の寮生数の推移を示す。寮生数は、平成4~7年度は300名を超す大所帯であったが、平成23年度には195名となっている。なお、昭和59年度から学生募集を高校に広くPRし始めたこともあって、一般学生の入寮も多くなり、寮内で一般学生が占める割合は年々増加して平成7~11年度には35%前後、平成13年度以降は50~60%を占めるに至っている。一方、寮の施設・設備関係では、昭和61年度に運輸省の助成による防音工事、全館完全空調工事を行い、平成9~10年度には、築後36年経過していることや阪神大震災もあって改修することになり、同時に2人部屋であった寮室を全て1人部屋に改装した。また、当初は外部からの電話は呼び出しによっていたものを個室化と同時に各室へ電話を設置した。しかし、最近では携帯電話の普及により使われなくなったため、平成21年8月に全面撤去した。なお、寮の食堂業者は、初期の峰食品から内田フーズ、阪神魚国、日本カフェテリアへと移行されている。最後に、阪神大震災時の学生寮の状況について記述する。平成7年1月17日早朝5時46分に発生した兵庫県南部大地震(阪神・淡路大震災)では、大学においても大きな被害を被った。当日は3連休明けの火曜日の早朝であった為、寮宿直員1名と寮自治会役員がこの対応に当たった。寮における被災状況は、全ての部屋の物は散乱状態であり、廊下に並べていた寮生用ロッカーも全て倒れて一部破損していた。なお、怪我人は出なかったものの、寮の床下は30cm程地盤沈下し、ライフラインの水道は止まっていた。井戸水の方は破損箇所が無く使用可能であることから、切替工事を行なって給水が可能となり、寮としては震災の翌日から食堂等通常通りの運営ができた。また、学舎については、2号館給水塔まで(約200m)塩化ビニルパイプを這わせて送水し、全館に給水できるようにした。この復旧工事は大学運営の早期再開に大きく役立った。また、寮は地域住民の緊急避難場所として指定されてはいなかったが、地震発生当日の夕方から住民の方々が次々と避難させてほしいとの要望がでてきたため、受け入れをすることとし、それと同時に尼崎災害対策本部へ連絡し避難物資を入れてもらうとともに、体育館別館(武道場)を避難場所として1月17日~25日頃まで協力した。その際の避難者は最大で54名であった。(人数)400350300寮生250200派遣学生一般学生数150100500平成34567891011121314151617181920212223(年度)寮生数の推移65