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産業技術短期大学での思い出開学50周年お目出度う御座居ます。昭和37年開学で、私が神戸製鋼所に入社して、3年後で後輩が入学した為羨ましく思ったものでした。その後30年後に奇しくも大学にお世話になるとは、思っ....

産業技術短期大学での思い出開学50周年お目出度う御座居ます。昭和37年開学で、私が神戸製鋼所に入社して、3年後で後輩が入学した為羨ましく思ったものでした。その後30年後に奇しくも大学にお世話になるとは、思ってもみなかった出来事でした。御縁があったのかと、不思議な気がいたします。私の勤務は平成5年夏から、平成15年3月末迄10年間でした。半年は寮勤務でその後は事務所の技術員として、日常の業務のかたわら自分なりに色々考え、上司と相談し行動する様にして、建造されて30年経過してかなり古くなり汚れ、塗装のはがれ等が目立ち、以前は男子校であったが女子学生も入学されていましたので、校舎の美化、植樹、気持ちが和むようにと思い花卉を植え、小さな花壇を作り草花を咲かせました。今では八重桜、花桃等20年生となり大きくなって、3・4月頃には開花して、卒業生を送り、新入生を迎え、皆様の目を楽しませている事と思って居ります。風雪と共に、窓ガラスも汚れ掃除を行って少しでも明るく、学生生活が送れる様努力もしました。5月の体育祭、11月の大学祭等諸行事も懐かしく思い出されます。最後に17年前の阪神淡路大震災には自身の近辺の事ばかりで、大学の後片付けに参画出来なかった事が悔やまれます。大学史の中で中間ランナーとして大学と共に歩ませて頂き、良い事も悪しき思い出も、十年余りの積み重ねの賜物です。安養寺政博(事務局)半世紀前の懐かしい思い出昭和37年4月25日、第一期生は開学式に臨んでいた。その4月に機械工学科の助手になったばかりの私もその場にいた。しかしながら式場は工場棟の一室であった。第二期生以降の諸君には想像し難いと思うが、開学式の当日に使用できた建物は工場棟のみで、本部棟、鉄鋼・電気棟、機械棟、学生寮何れも工事途中の状態であった。第一期生は4月下旬より、工場棟に学生机を並べて講義を受けていた。初夏になれば晴れた日は工場棟の屋根や壁のスレートが焼けるような暑さになり、学生諸君はタオルで汗をふきふき講義を聴いている有様で、朝になると学生机の上が床のコンクリートや屋根のスレートからの粉でしばしば白くなった。機械工学科では、一学年前期より、機械製図、機械製作実習、機械工学実験等の実技科目が多いにも拘わらず、工場棟を講義に使用している上にまだ機械棟もできず夏休みを迎えた。私達教職員は短い夏休みもほとんどを返上して機械や装置を搬入し、据え付けることに時間を費やし、また学生諸君は講義の回数を満たすため夏休みを短縮し、学生寮が出来上がるまでは、阪急宝塚線の中山寺等に分宿し、そこから通学していた。私は第一期生諸君に数学の補習を行った。私が本学に着任前に兵庫県の工業高機械科の教員で、時々病気欠勤した数学や物理の教員の代理で授業した経験による。初代学長の澤村宏先生は、私達若い教員に鉄鋼会社の工場見学を勧められた。毎月のように見学に出掛けたのを懐かしく思い出す。私自身は近畿地方の鉄鋼会社には、相当数の工業高校卒業生を送っているので、鉄鋼会社の現場は相当程度は理解していた。これらの懐かしい思い出は、最初に述べたように第一期生と一緒に開学式に参加した教職員にしか判らないことも多いと思う。卒業生、在学生の御健康、御多幸を祈ります。生田潔(機械工学科)74