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人材開発センターの思い出私が人材開発センターに着任したのは平成15年、中国が北京オリンピックに向け急成長し始めた頃だったが、日本の鉄鋼業はまだどん底状態であった。営業開拓で研修生の派遣をお願いしても、....

人材開発センターの思い出私が人材開発センターに着任したのは平成15年、中国が北京オリンピックに向け急成長し始めた頃だったが、日本の鉄鋼業はまだどん底状態であった。営業開拓で研修生の派遣をお願いしても、それどころではないと冷たい返事ばかり。それでも人開研修の評価は高く、特に鉄に関係する仲間が集まり熱い議論を闘わす他社交流は他では代替できないものがあると各社可能な限りの派遣を頂き、これまで努力してこられた先輩諸氏に感謝したものである。短大も溶接工学科から変わった構造工学科が再編でなくなり、鉄鋼学園から鉄のイメージが消えたのもこの頃である。短大の先生に講師をお願いし短大の実習実験設備を活用しての歴史ある溶接技術講習を中止せざるを得なくなったのは残念であった。その後、短大の方は少子化で入学生が漸減し苦しい経営状態が続くが、人開センターの方はBRICsの経済発展に引っ張られて世界的な鉄鋼産業の活況、団塊世代の大量退職を迎えての世代交代、それに対応するための早期人材育成ニーズの高まりなどを背景に、研修受講者が急増、通信教育受講者も急増しまるで特需景気のような時代を迎えた。人開センターのスタッフは最少人数に絞り込んでいたが、「研修希望者は全員受入れよう」「受講者数が増えても研修の質は落とすな」「通信教育はテキストが古いなど不満の声を撲滅しよう」などを合言葉に必死に頑張った。センター職員はもとより、先輩およびセンターを取り巻く関係者の全面的な協力を頂き、なんとか乗り越えられたことを深く感謝している。おかげで人開センターの評価をさらに高めることが出来たとともに、センター設立の目的の一つであった短大経営への貢献も実現させていただくことが出来た。その大きな波もリーマンショックで一時大きく減退したが、一度火のついた人材育成ニーズの高まりはシュリンクすることなく、その後も大きなうねりとして継続している。人開センターに要求される中身は時々刻々変化していくが、そのニーズに的確に応え短大ともども益々繁栄されていくことを祈念している。谷﨑豊一(人材開発センター)80